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エリザベス1世 欲望を失った女王!現在ではあり得ない化粧が異常!?


エリザベス1世。イギリスの王室にて、初の女王として誕生した人物です。それ以前の時代では、女性がトップの王座に就くことは言語道断とされ、長く敬遠されてきました。

エリザベス1世は王にしては欲がないといわれ、女王になるまで淡々と物事を進めていきました。ただ、化粧に関しては異様なこだわりがあったようですね。自らの欲を捨て、我が道を進んだエリザベス1世の素顔に迫りたいと思います。

1.生涯

1533年、エリザベス1世ヘンリ8世とアン・ブーリンの間に生まれます。アン・ブーリンはヘンリ8世の2人目の妃でした。ヘンリ8世は男の子を強く望んでいたため、男子を産めなかった最初の妻と別れています。

最初の妻と離縁したヘンリ8世は、アンと結婚します。しかし、女の子であるエリザベスを産むも、男の子には恵まれませんでした。ヘンリ8世は、またも離婚します。しかも、アンは罪の口実を一方的に着せられ処刑されてしまいます。

最後の后となったキャサリン妃の元でエリザベスは育てられます。そこで、有能な家庭教師について知識を詰め込んでいきます。ラテン語、イタリア語、フランス語も精通していたそうです。

1547年、ヘンリ8世が亡くなると、エドワード6世が就きます。そこで問題が起こり、エリザベスはキャサリン妃の再婚相手と親密な関係になりました。関係を疑われたエリザベスは宮殿から追い出されました。

1553年、メアリ1世が王座に就きます。彼女はカトリックだったのでフェリペ2世と結婚します。プロテスタントを弾圧します。当然、反発する勢力もいたため反乱が起きます。その混乱の中でエリザベスは首謀者として疑われ、幽閉されます。

フェリペ2世の記事はこちら
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しかし、罪は晴れて解放されます。メアリ1世は1558年に亡くなります。ついに、エリザベスに王位が回り、エリザベス1世となります。彼女は国の方針を元に戻し、イングランド国教会を中心に変えました。外交も積極的に繰り出し、それまで最強と言われたスペインの無敵艦隊を打ち破ります

エリザベス1世は、未婚を生涯貫きました。そして、未婚であることを逆手に取り外交の武器としました。未婚であることを相手国にちらつかせて交渉も行っていたそうです。結婚することで、夫の国から政治的干渉をされる危険性があることも理解していました。

こうして数多くの栄光を手にして、多くの愛人にも恵まれたエリザベス1世でしたが、晩年は苦難の連続でした。スペインには勝利したものの、他国に苦戦し、財政的に厳しくなったのです。国内では凶作も起こり、民衆の不満は高まりました。

不幸なことに親しい友人も次々と亡くなってしまいます。その一ヶ月後に女王も鬱病になってしまいます。1603年、69歳で亡くなります。死因は、肺炎だそうです。

2.特殊な方法の化粧

エリザベス1世は化粧の方法が独特でした。中世ヨーロッパにおいては、肌は白ければ白いほど美しいと認識されており、肌にはおしろいを塗って化粧をしていました。

エリザベス1世が儀式の時は、なんと、はちみつを下地に塗り、その上からおしろいを塗る形で化粧をしていたのです。そのようなメイクをして民衆の前に現れたことで、一躍有名になり、女性の間で流行しました。

しかし、この化粧は水銀中毒や、鉛中毒の危険性があるメイクでもあるのです。

驚くことに、この白い化粧をして、何日間も顔につけたままなのは当たり前だったのです。顔を洗って化粧を落とさなかったのです。くちびるは金属を含む真っ赤な顔料を使用していました。眉毛も細くされました。この化粧法で、エリザベス1世は完璧な顔を仕上げていきました。

3.まとめ

エリザベス1世は、未婚を貫き通すことで自らのプライドを保っていたのかもしれません。当時は、結婚が当たり前だったので、かなり珍しかったのではないでしょうか。

エリザベス1世肖像画を見ても、肌が白くてきれいに見えますが、それはやはり特殊なメイクを使っていたからですね。生涯独身で相手も多かったそうですから、入念に化粧をしていたようです。何日間も化粧を落とさないのは不潔な気もします。健康を損なう危険も顧みず化粧に凝ったのも流石は女王です。

しかし、死因が痛ましいですね。親しい人が次々といなくなり、うつ病になるとは。うつ病になって、肺炎にも罹るとは最期にしては運が悪い気がします。