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フェリペ2世 無敵艦隊を作り上げたスペイン王!実は笑わない冷酷な気質だった!?

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フェリペ2世。スペインを「太陽の沈まぬ国」に仕上げた者として知られています。当時、最強だったオスマン帝国にも勝ったことは有名な話です。一方で、強烈な物価上昇を招き、国家を混乱に陥れた人物でもあるのです。

そんな最強の王、フェリペ2世の人生を覗いて見ます。

1.生涯

フェリペ2世は、カルロス1世の長男として生まれます。母親は、ポルトガルのイサベルです。フェリペ2世はカルロス1世とは正反対で、ほとんどスペインから離れずにカスティーリャ語しか話しませんでした。1561年、宮廷をマドリードに定め、王宮、修道院墓所を兼ねたエル・エスコリアルを建設しました。

当時としては最大級の行政機関の頂点にたち、広大な領土から送られてくる大量の書類の山に向かう日々を送っていました。このようなフェリペ2世を見た人々は、書類王と称したともいいます。

フェリペ2世カトリック界最高の保護者として、領内のカトリック以外の宗派に厳しい弾圧を加えました。旧教と新教の激しい宗教戦争であり、虐殺が起こった時は、それまで笑ったことのないフェリペ2世が、生まれて初めて笑ったとされています

フェリペ2世は父から受け継いだスペイン、ネーデルラントアメリカ大陸、フィリピンなど支配領域を拡大させました。1580年にはポルトガルの王家が断絶したことを利用し、自身の母がポルトガル人であったことから、ポルトガルの王につきます。さらに、アフリカや中国の海外拠点を獲得し、「太陽の沈まぬ国」を築き上げました。

16世紀の地中海は、オスマン帝国支配下にありました。それに反旗を翻したフェリペ2世は、レパントの海戦オスマン帝国に挑戦し、見事破りました。それ以後、スペイン海軍は無敵艦隊と称されるようになりました。

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しかし、1568年のネーデルラント独立戦争ではイギリスと対立し、1588年に無敵艦隊を派遣しますが、イギリス軍に負けてしまいました。これによりネーデルラントが独立すると一気にスペインの求心力が低下し、没落してしまいます。

アメリカ大陸の銀はスペインが独占し、ヨーロッパにももたらされ、いわゆる価格革命が起こりました。しかし、スペインの財政は借金王国へと化していました。度重なる戦争で戦費が重なり、ひっ迫していました。フェリペ2世は、1557年に破産宣告を出します。

2.フェリペ2世の名に由来する国

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その国とは、フィリピンです。大航海時代にスペインは、この地の征服を目指して、艦隊を幾度か派遣し、その中で1542年の遠征隊がこの地を時の皇太子であったフェリペ2世の名に因んで、フィリピンと名付けたそうです。

現在、フィリピンでは征服したスペイン人の国名は恥とする見方が強く、改名しようとしているようです。どんな国名にしようかというと、マゼランを倒したラプラプとマニラ防衛隊のソリマンの名を組み合わせた「ラポリマニア」、またスペインからの独立運動のボニファシオとリサールの英雄の名をかたどった「ボニサリア」に変えようとしています。

3.まとめ

フェリペ2世は冷酷だったのですね。笑わないのは分かりますが、残虐行為で初めて笑う人は、想像するだけでゾッとしますよね。なかなかいない人物だと感じました。太陽の沈まぬ国をつくりあげるために心を無にしたのでしょうか。

全盛期を築きながらも同時に、衰退へと導いたのは、惜しいですね。能力のある人物みたいですが、人柄は微妙でした。

フィリピンの国名を巡る問題は初めて聞きました。国名の由来が、フェリペ2世だったことに驚いたことと、フィリピンという国名を嫌っている人が一定数いることに驚きました。フィリピンが馴染んでいる現在では、改名となると国際的にもかなり厄介なことになりそうです。しかし、もし変わったらそれはそれで完全に新しい国というイメージは付きます。