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ヘンリ8世 宗教改革を進めるも突然遂げた謎の死因とは!?


ヘンリ8世。イギリスで絶対王政を築き上げ、宗教改革を推し進めたことで知られています。ローマ教皇から宗教を分離させ、イギリス国教会を立ち上げました。今でも人気があるとされます。

また、ヘンリ8世は結婚を何度と繰り返していたともされます。強行な場面もあったそうです。そんな我が強かったヘンリ8世におとずれた謎の死因とは何でしょうか。

1.生涯

ヘンリ8世は、1491年にプラセンティア宮殿で生まれます。18歳の時に兄が亡くなり、テューダー王朝の王として即位します。ヘンリ7世の政策を引き継ぎ、イギリス王権の強化に努め、絶対王政の土台を築いたのです。

ヘンリ8世は手腕をとわれてイタリア戦争で、フランソワ1世とカール5世から援助を要請されるほどでした。

ヘンリ8世は、最初はカトリック教会と協力していて、ルターの「95か条の論題」には反対の声明を出していました。このため、ローマ教皇レオ10世から信仰の擁護者の称号をもらっていました。しかし、王妃キャサリンとの離婚をクレメンス7世に反対され対立が生まれ、破門されます。

こうして教皇と対立を深めたヘンリ8世は、1534年に首長法を発布して、ローマ教皇の代わりにイギリス国王を教会の首長とする宗教改革を見事に成功させます。イギリス国教会を築いたのです。

離婚を繰り返しながらも、1536年には待望の王子であるエドワード6世が誕生します。

一方、強行な面もあり国王の離婚に反対したトマス・モアを処刑してしまうのです。

宗教改革ローマ教皇の関係を終えたことから、アイルランド議会でヘンリ8世自らをアイルランド王とすることを議決させました。しかし、アイルランドは自立心が強かったので国王の統治はうまくいきませんでした。

1547年、ホワイトホール宮殿にて亡くなりました。

2.謎めいた死因とはいかに

ヘンリ8世は運動をよくしていたそうで、馬上槍試合を行っていました。不運にもそこでケガをしてしまい、動けずどんどんと太っていってしまいました。

その太り方は半端なく、馬がしゃがんでしまうほど太っていたそうです。100キロを超えたとか。

ケガも治らず傷にも悩まされ、ストレスで過食が進んでしまったそうです。もちろん健康状態も悪化していく一方でした。

55歳の時に病気、恐らく肺炎にかかってしまい、亡くなってしまいました。

3.まとめ

ヘンリ8世は活発だったのですね。運動もさることながら、宗教改革なんて怖くて出来ないですよね。やってのけるのが度胸がある国王だと思いました。

離婚に反対されただけで、刑罰を下すとは度を超えているのは確かですね。国王なので跡継ぎは大事ですが、あまり焦らなくてもよかったのではないでしょうか。貴重な人材まで無下にしてしまうので。