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ユスティニアヌス1世 領土を最大にするも気づかなかった落とし穴とは!?

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ユスティニアヌス1世。古代ローマ東ローマ帝国の皇帝で領土を最大化にしたことで知られています。ユスティニアヌス1世は、領土を拡大するに留まらず、ローマ法大全で法律の構築にも取り組んだとされています。絹織物を広めたきっかけをつくった人物でもあります。

領土を拡大して何を成し遂げたかったのでしょうか。思わぬ罠もあったとか。見ていきましょう。

1.生涯

ユスティニアヌス1世は483年に生まれます。今のマケドニア共和国の農家の農民でした。518年、叔父のユスティヌスが出世していき、東ローマ帝国の皇帝に即位したことから転機が訪れます。ユスティニアヌス1世は養子だったので、豊かな教育を多く受けられました。

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525年、テオドラと結婚し、2年後に東ローマ帝国の皇帝に即位するのです。ここから領土拡張を開始します。533年にヴァンダル王国を征服し、535年に東ゴート王国と戦争し征服します。西へと進み、西ゴート王国も征服します。ローマ帝国地中海全域を支配するのです。

東方では苦戦し、ササン朝のホスロー1世と戦い侵入を食い止めました。
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国内政治では、養蚕業の保護に取り組みました。帝国を整備するため、ローマ法大全を制定します。ただ、ユスティニアヌス1世は専制君主であったため、キリスト教だったため、ユダヤ教の異端を厳しく取り締まったといいます。

ユスティニアヌス1世は、東ゴート王国が滅亡した後の565年に82歳で亡くなります。

2.思わぬ落とし穴とは

領土を最大限に広げたユスティニアヌス1世。満足だったとは思いますが、晩年期になると思っても見なかったことが降りかかるのです。

それは、543年に起きたペストの大流行。凄まじいものでした。戦争の比ではなかったようです。帝国内の人口が半分にまで減ってしまい、深刻なダメージを負ってしまったのです。

ペスト大流行の記事
deutschlandworld.hatenablog.com


さらには、最愛の妻のテオドラを早くに亡くしてしまいます。支えてくれた存在なので、ダメージが大きいものでした。

このことが重なり、ユスティニアヌス1世の死後、東ローマ帝国衰退の一途をたどるのでした。

3.まとめ

ユスティニアヌス1世が農家出身だと知り、まず驚きました。叔父のおかげもあるとはいえ、強運の持ち主だったかもしれないですね。周りの人の意見を聞く人物といわれていたので、伸びたのではないかと思います。

ユスティニアヌス1世の時代は、文化的にも発達しました。アジアとヨーロッパの文化が入り混じり、イコンやモザイク画などが誕生しました。文化同士の交流もいいですよね。絹織物も開始した人物でもあるので関心が高かったのでしょうか。