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コペルニクス 地動説を唱えた16世紀屈指のチャレンジャーの素顔とは!?


コペルニクス天文学者として幅広く知られています。当時、宇宙については誰も触れたことがない未知なる分野でした。そんな中で、コペルニクスは当時の学説を覆すような大発見をしました。それが地動説です。

コペルニクスはどんな人物でしょうか。見ていきます。

1.生涯

コペルニクスは、1473年にポーランドで生まれました。当時は東ローマ帝国が滅亡し、キリスト教的宇宙観から人間中心宇宙観へと人間の意識が大きく転換していく時代でした。科学分野も皆無の時代でもありました。

ルネサンス時代の幕開けに生まれたコペルニクスは幼い頃に両親を亡くし、母の叔父のところで育てられました。叔父がキリスト教司祭であったことから、コペルニクスも司祭に進むべく大学では天文学、科学、医学など様々な学問に親しみました。

始めのほうはポーランドの大学に進みますが、彼の知識の多くは、その後のイタリア留学時代に培われたものです。イタリアにおいてもコペルニクスは様々な学問に触れていきます。

このイタリア時代に、彼は人生の「師」ともいえる人物と出会います。その人物はノヴァラです。ノヴァラはコペルニクス天体観測を手伝わせ、教授も担いました。これがきっかけで、天文学への興味も深まりました。

コペルニクスは天体観測を重ねるにつれて、当時、絶対的であったプトレマイオス説に疑問を持つようになりました。彼の集めたデータを合わせるとプトレマイオス説とはズレていたのです。コペルニクスは、おかしいと感じます。

そして、太陽の周りを惑星が廻っていると考え、プトレマイオス説よりもスッキリしたものが得られるという結論に達しました。これが地動説なのです。

その後、コペルニクスポーランドへ帰り、教会の要職に就きます。医師としても働き、1543年、70歳でこの世を去りました。

2.コペルニクス的転回

この意味は2つあります。

1つ目は、見方や考え方が180度変わることの比喩です。カントは天動説と全く異なる地動説が生まれたことをコペルニクス的転回」と呼びました。

2つ目は、認識が対象に依存するのではなく、対象が認識に依存する、という意味です。カントは対象が認識に依存する、というこれまでとは全く違う発想を生み出し、コペルニクス的転回と名付けました。

3.まとめ

コペルニクスが科学が皆無の時代に、それも宇宙分野に興味を持ったことに驚きました。現在でいうAIの未来を言い当てることと同じでしょうか。

調べていて気づいたのですが、やはり大学時代に学んだことは活きてくるということです。コペルニクスは2つの大学に通い、自身の領域以外にも学問の幅を広げていました。コペルニクスをみて、どれだけ学んだかは将来に影響が出てくると痛感しました。

このコペルニクスの地動説は、後々、ガリレオへと受け継がれていきます。ガリレオコペルニクスの地動説を確立しようと奮闘していたので、思いは引き継がれたのでしょうか。