ピョートル1世。ピョートル大帝とも呼ばれます。ロシアの皇帝ですが、当時、小さかったロシアを帝国にまで引き上げた実力者なのです。ロシアの近代化を推し進めた人物でもあります。その裏で恐ろしい性格も持っていました。部下を斬首し、生首を見せしめたとか。
ピョートル大帝は、ものすごい身長が高かったことでも知られているようです。その身長は2メートルあるとかないとか。そんなピョートル大帝の素顔を覗いてみます。
1.生涯
1672年、アレクセイ1世の14番目の子として誕生しました。1682年に父のアレクセイ1世が亡くなると、血のつながりのあるイヴァン5世と共同統治者に指定されて、権力を共有するようになります。しかし、モスクワの貴族たちはピョートル1世よりもイヴァンを好み、イヴァンをツァーリにして、イヴァンの姉を摂政にしました。
こうしてピョートル1世は宮廷から追放されてしまいます。ピョートル1世にとっては転機となり、息が詰まるようなロシア宮廷の環境から離れて、成長する機会を得たのです。航海、軍事戦略、数学に興味を示して学びました。
数年後に、イヴァンの姉が追放されると成長したピョートルは宮廷で大きな力を握るようになりました。1696年、イヴァンが亡くなると、ピョートル1世として、ロシアを単独統治するツァーリとなりました。
その後、彼は「ボヤール」と呼ばれる貴族から権力を奪い、権力中央集権化を実行しました。彼の権力が確かなものになると、ヨーロッパ周遊の旅に出かけます。ロシア君主という身分を隠し、ヨーロッパの学校や工場などを訪れ、西洋の技術について学び、ロシアへ導入するつもりだったのです。特に戦艦技術に力を入れました。
ロシアに戻ったピョートル1世は、ヨーロッパに簡単にアクセスできて、1年中凍ることのない「不凍港」の必要性を感じ、海軍を創設しました。
不凍港を獲得するため、スウェーデン帝国との戦いを始め、その結果、1721年までにバルト海に港を獲得しました。こうして領地を拡大したピョートル1世は、ロシアをロシア帝国と宣言し、自ら初代皇帝に就任しました。ここから「ピョートル大帝」と呼ばれるようになります。
獲得したバルト海の港は、海軍だけでなく、重商主義大国と良い貿易関係を築くことを望んでいました。ピョートル大帝はまた、ロシアのエリートを西洋化させるために急進的な社会改革を実行していきました。例えば、長ひげを切り、ヨーロッパ風の服装を着ることなどを推奨していきました。
このようなピョートル大帝の絶対的な態度は貴族だけにとどまりませんでした。教育分野で力を握っていたロシア教会から力を奪い、自らの管理下に置きます。科学やフランス語、留学プログラムなど、近代化が遅れていたロシアを教育面からも改革していきました。
ピョートル大帝は改革を進める中で新たな首都を建設することを思い立ちます。1703年、漁師の小屋しかなかったフィンランド湾に面した更地に新たな都市を建設し始めます。その結果、今日の「サンクトペテルブルク」が出来たのです。この都市名はピョートル大帝の名に由来して付けられました。
ピョートル大帝は、1724年の冬に亡くなります。
2.恐ろしい逸話
ゾッとする逸話もあります。ピョートル大帝は気に入らなかった側近を死刑し、その生首をアルコール漬けにしたという逸話です。その側近とは、ウィレ厶・モンス。オランダ生まれで、ピョートル大帝の側近として皇帝の妻、エカチェリーナの秘書官の地位に就きます。
しかし、モンスはエカチェリーナとの不倫が皇帝にばれて、投獄、そして斬首されました。さらにピョートル大帝は戒めとして、斬首したモンスの生首をアルコール漬けにしてエカチェリーナの寝室に飾らせたといいます。
斬首されたと聞いただけでもゾッとするのに、生首まで部屋に飾らせるとは、生きた心地がしなかったでしょう。不倫相手の生首とは、幽霊より格段に怖いですね。