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ヌルハチ 清の建国者ながら知られず!気になる不気味な存在感とは!?


ヌルハチ。知っている人はどのくらいいるのでしょうか。世界史が好きな人は知っている人も多いと思います。ヌルハチは清を建国した人物です。

初代皇帝ながら、あまり知られていないヌルハチの秘話を探していきたいと思います。

1.生涯

女真の愛新覚羅で生まれます。父と祖父が殺され、25歳の時に自立して兵を挙げます。海西女真などを次々と制圧していき、1613年までに女真族を統一しました。1616年正月、ヌルハチ女真諸部族の長として、「ゲンギェン・ハン」の称号を与えられ、国号を金と定めました。

金は後に後金と呼ばれるようになります。国号には金の後を継ぐ女真の国家を建てるのだという意思が込められています。年号も天命と改めました。

1618年、ヌルハチ「七大恨」という七箇条を挙げ、明に宣戦布告をしました。翌年のサルフの戦いでは、後金軍が大勝利を収め、さらに、明の守備隊を破って遼河の東側全域を支配しました。ヌルハチは1625年に首都を奉天に定め、盛京と称しました。

明との戦争を展開していく中、八旗の軍制、独立王朝としての体制を整えました。八旗というのは、女真族の狩猟の際に編成されたもので、成年男性を基にした軍事権行政組織です。ヌルハチは国家構想を練る上で文字が必要となりましたが、女真文字は使われなくなったため、モンゴル文字をもとにして満州文字をつくりました。

1626年、ヌルハチは二度目の攻撃を仕掛けましたが、明軍がキリスト教宣教師の教えで作った火砲を用いて反撃したため、八旗が逆に劣勢になり敗北しました。そして、敗北した年にヌルハチは亡くなりました。ヌルハチの後はホンタイジが継ぎ、清を建国しました。

2.墓はどこか


清の歴代王の墓は、北京の東側の河北省にあるといいます。清の順治帝が狩りに出たとき、山の麓に行きました。馬を止めて辺りを眺め、風景の静かなところに惹かれたそうです。そこで、指輪を外して空に投げて言いました。「指輪の落ちた所は、必ずしや墓地として良い地層であろう。そこに墓を準備して良いぞ」と。

1663年に順治帝のために山の麓に墓を建造したのが始まりでした。清の歴代王はここに葬られることになりました。ちなみに、ヌルハチホンタイジはその前の時代なので、墓は瀋陽にあります。

3.まとめ

ヌルハチは、なかなか見えてこない人物でしたが、いかがだったでしょうか。詳しく言うと、清を築いたのでなく、清の基礎を築いた王でした。資料が少なくて分かりづらいですが、全体像は見えてきたのではないでしょうか。

国家を造るのに文字を必要とするのは当たり前のようですが、当時の人からしたら文字は馴染みがなく、貴重で難しいものだったのかもしれません。「明」という巨大王朝と戦い続け、「清」を構想したことはもっと広く語り継がれても良いのではないかと思いました。