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ルイ13世 身内を嫌味嫌った国王の辿った末路とは!?


ルイ13世ブルボン朝の王で、太陽王と呼ばれたルイ14世の父親です。ルイ13世は、こと細かい性格で、傲慢ぽく、嫉妬も深かったそうです。

内政には積極的で、王政の土台を築き上げたようです。一体どんな人物なんでしょうか。見ていきます。

1.生涯

ルイ13世は、父アンリ4世、母マリー・ド・メディシスの元に生まれます。しかし、生まれてから8年後、アンリ4世が暗殺されてしまいます。ルイ13世がわずか8歳で国王を継ぐことになったのでした。

その結果、母マリー・ド・メディシスルイ13世の摂政となります。14歳の時に、ハプスブルク家の王女と結婚することになったのです。国王が幼いので、貴族達は色んな特権を幼いルイ13世に握らせようとします。三部会でした。

若いながらにルイ13世は、国内政策に力を入れていきます。その一つが決闘禁止令です。決闘は主に貴族の間で行われていました。国王が禁止令を出しても守られずにいました。そこで何十回と決闘していた貴族を国王広場で捉えて処刑してしまったのです。ルイ13世強硬策でした。

1618年から始まった三十年戦争はフランス側が有利に進めていきましたが、味方であるスウェーデングスタフ・アドルフが亡くなると、フランスが不利になりました。

1635年、フランスはオランダとスウェーデンと組みスペインとオーストリアと戦いました。ルイ13世が生きている間には終わらないほど激しい戦争でした。

王妃との関係は冷めていたと言われています。ルイ13世が女性に興味がなかったから、とも言われているようです。戦争の時も王妃が敵に秘密を流してバレルなど危機もありました。

ルイ13世と王妃の間に愛情は薄かったのに何故か子供はできました。その子がルイ14世です。

母とも戦争をきっかけに仲違いします。国王として摂政の母を嫌い、幽閉までしてしまいます。結局、母は国に戻らず亡くなります。

ルイ13世は1643年に亡くなりました。


ルイ14世の記事はこちら
deutschlandworld.hatenablog.com

2.知られていない素顔

ルイ13世は、14歳の時に政略結婚させられます。これは、親が勝手に決めた結婚であるためルイ13世は内心、反発していました。

妻と何とかくっつけようとする母に嫌気がさしました。女性嫌いな一面があったのです。そのためか、22年の間、妻との間に子供は授かりませんでした。

王族の中では唯一恋人がいなかったとも言われているほどです。結局のところ、妻との間に子供ができました。後のルイ14世でした。

3.まとめ

なかなか面白い王です。どうやって最期を迎えたのか不明でしたが、身内の対立がすごかったのですね。幼くして王になり、理不尽なことも多かったでしょう。

女性嫌いは見ませんね。珍しいかもしれないです。唯一生まれた子がルイ14世とは、またすごいですね。