オリバー・クロムウェル。17世紀に起きたピューリタン革命で活躍した人物です。当時の王党派と呼ばれる党と対立し、最終的に国王までを処刑にしてしまいます。
独裁者として活躍したクロムウェルですが、彼が亡くなった後、反逆者として扱われてしまいます。
イギリスの発展する過程において重要な人物ですが、今でも評価は分かれているようです。見ていきます。
1.生涯
オリバー・クロムウェルは、裕福な家庭に生まれて熱心なピューリタンとして育ちました。大人になると、ケンブリッジの下院議員として選出され長期議会の議員として活躍していました。
しかし、1642年に議会で内乱が発生すると、鉄騎隊を結成して、議会派の中心をまとめ、マーストン=ムーアの戦いで勝利をおさめました。
さらに翌年に勃発したネーズビー戦いでも勝利を収め、チャールズ1世の身柄を拘束しました。
このようにして次第に権力を握り始めたクロムウェルは、独裁体制をしいていき、参政権の平等を求める水平派の運動を弾圧していき国王派を厳しく取り締まるようになりました。
また、議会の別グループである長老派も追放して、独立派のみで議会を取りしきりました。ランプ議会ともいうそうです。
1649年についにチャールズ1世が処刑されてしまい、イギリスでの共和制を完成させました。
クロムウェルは海外でも勢力を拡大させようとし、西インド諸島や北米大陸にかけて攻勢を強めました。ジャマイカやバルバドスを制服したのです。
しかし、クロムウェルが亡くなってから王政が再び復活して、クロムウェルは反逆者として扱われるのでした。クロムウェルの墓は掘り起こされ、死体を無惨な状態にされたのです。
2.クロムウェルは涙もろかったのか
クロムウェルは自らの力で、王政を途絶えさせ、強権を強いてきたのですが、人柄については別の一面があるようです。
ただひたすら、質素な生活しか求めない貧しい教徒に対しては、無常の愛を注いだようです。大きな戦争が起きる前には、聖書とともに閉じこもり、長く祈りを捧げていました。その姿が幾度も見られたそうです。
3.まとめ
強権的で、我を顧みずに進む強者と見られましたが、貧しい人にはきちんと寄り添えるのだと思いました。
彼の死後が無惨な状態になったことは言葉がないです。敵も多かったそうで悔やまれます。