アントニウス。古代ローマの武将ですね。よくクレオパトラとセットで出てくるイメージの人も多かろうと思います。アントニウスの人生は、戦いの連続でした。軍人であり、政治家としても活躍しました。
そんな戦いに戦いの人生におとずれた最期は、どんなものだったのでしょうか。見ていきましょう。
1.生涯
マルクス・アントニウスは、紀元前83年にローマで誕生します。アントニウスが幼い頃に父と母が殺害されると、前57年にギリシア渡り、ポンペイウスの自治の総督であったガビニウスの部下になりました。
前55年には、ファラオの座を追われていたプトレマイオス12世の復位のためにエジプトへ侵攻しました。この際に出会ったのがクレオパトラでした。
ユリウス・カエサルの総督代理として、ガリア戦争に参戦します。アレシアの戦いでもアントニウスは活躍しました。前48年のファルサルスの戦いも後、カエサルから騎兵隊長に任命されました。
カエサルが暗殺された後、有力な後継人であったが、カエサルは遺言状でオクタウィアヌスを後継にと指していました。
オクタウィアヌスと対立したアントニウスですが、元老院で、アントニウス、レピドゥス、オクタウィアヌスの三者による同盟が成立しました。三頭政治です。
三頭政治は、一時的な同盟なので、各自、勢力を拡大していきました。ペルシアで蜂起があったものの対立には至りませんでした。
アントニウスの野望はこれで終わりませんでした。カエサルの目指してたパルティア征服を成し遂げることで、オクタウィアヌスを圧倒するのを目論んでいたのです。前36年にパルティアに侵攻します。
パルティア遠征でエジプトとの関係も気にしていました。クレオパトラとの仲を密接にしていました。
パルティア遠征でローマを裏切ったアルメニアの国王を捕虜にします。凱旋式をローマでなく、アレクサンドリアで行い、自らの領土をクレオパトラに無断で分割したため、ローマ市民の反発を招きます。
こうしたアントニウスの隙をみたオクタウィアヌスは、彼との対決を決断します。ギリシアのアクティウムの海戦で激突します。アントニウスは敗れてエジプトへ逃げていきました。
オクタウィアヌスはアレクサンドリアへ侵攻します。逃げたアントニウスはクレオパトラが自殺したと誤報を聞いてしまい、自ら自殺したのです。こうして生涯を閉じました。
2.知られない性格
アントニウスは、勇敢で寛大な性格とイメージすることが多いですが、短気であり、頑固な性格も持ち合わせていたとされます。
スピーチ力は抜群で、よく聴衆を魅了したとされています。政治には不可欠ですね。
3.変なエピソード
アントニウスはクレオパトラとの変なエピソードがあります。それは、魚の釣に関してです。
ある時、釣りをしていました。アントニウスは釣りが上手く行かず、さらにクレオパトラもその場にいたので困っていました。
そこで漁師に命じて潜らせて彼の釣り糸に魚を付けさせ、釣ったふりをして見せたそうです。クレオパトラは見破っていましたが、感動した素振りをしてみせました。
クレオパトラが周りに伝え、アントニウスの釣りを見に来る人が増えました。結果、魚を付けていたのがバレて、大笑いになりました。
4.まとめ
アントニウスは、寛容なのかもしれないですね。一気に勢力を上げるのでなく、同盟も結びながら拡大するので、頭いいなと思います。
パルティアの欲が転機となってしまいましたね。ここで自分の生涯を終えるとは思っていなかったと思います。
釣りのエピソードはなかなか面白かったです。自分で釣るのでなく、釣ったふりをするのは仰天です。