ハンムラビ王。古代バビロニアの王様で、紀元前にメソポタミアの地域を統一した人物です。
ただ、よく知られているのはハンムラビ王が作ったハンムラビ法典です。「目には目を、歯には歯を」という名言は、小学生でも聞いたことあるのではないか、というくらい有名です。
厳しい決まりごとを作ったとされるハンムラビ王ですが、実際のところはどのような人なのでしょうか。実は知らなかった名言に込めた思いも探ります。
1.生涯
ハンムラビ王は、紀元前1810年に古バビロニア王国で誕生します。18歳の時、王国の王に即位します。しかし、当時は古アッシリア王国の支配下にあってハンムラビ王も力を持ってはいませんでした。
古アッシリア王国のシャムシ・アダト1世が亡くなってから、ハンムラビ王も力をつけていくようになりました。同盟のマリ王国と連携して、敵国を倒していったのです。特にエシュヌンナ王国は強国でしたが、協力して倒しました。
バビロニア北部はアッシリア王国でしたが、南部はラルサ王国が支配していました。アッシリアを倒して以来、ラルサ王国は、古バビロニア王国に対して強力な敵意を向けていました。一時は協力していましたが、それは表面上であり、領内では略奪行為を平気で働いていたのです。
こうした経緯もあって、前1764年にはハンムラビ王は完全にラルサ王国を制圧するのです。ここまできたら後はマリ王国です。仲が良かったのですが、ハンムラビ王の統一の欲望があり、侵攻しました。
そして、遂に前1759年にメソポタミアを統一しました。ハンムラビ王は、官僚や軍隊などを整備して国内を安定させていきました。法律に着手し、ハンムラビ法典をつくりました。水路も整備して商業を保護していき、バビロン第一王朝を全盛期へと導いたのです。
前1750年に亡くなります。
2.名言に込めた知られていない思い
ハンムラビ王は、国内を統一した後にハンムラビ法典を作成し、法律を定めました。ハンムラビ法典は、全部で282条からなる法典です。主に平民と奴隷の明確な区別がつけられています。
有名な名言で「目には目を、歯には歯を」がありますが、どういう意味でしょうか。一般的には、復讐するという意味であり、やり返しなさいといわれています。しかし、全員に対していっている訳ではないようです。
ハンムラビ法典には、身分によって3つに区分されています。上級自由人、一般自由人、奴隷の3つです。ただやり返す、のでなく被害者を救済するという意味もあったのです。
20条くらいに、強盗に遭って死んだ場合、放置せず、その市長は被害者の遺族に1マナを払わなければならない、とか。
結婚に関する決まりや寡婦や孤児など、貧しい人を救済する条文もありました。さらには、きちんとした遺産相続など、弱者を保護する細かい部分まで書かれていたそうです。
「目には目を、歯には歯を」も復讐するのみではなく、社会的な平等を受けなさい、という温かい思いも込められていたのだと思います。