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ダレイオス1世 今の民主主義があるのは彼が敗北してくれたおかげ!?


ダレイオス1世。古代ペルシア帝国で最も栄えた時期の王様です。首都ペルセポリスを築き、街道や貨幣の統一も行ってきました。その支配領域は、国境を超えて拡大します。

ダレイオス1世の突き進んだ道のりを見ていきたいと思います。

1.生涯

ダレイオスが権力の座に就くと、法による支配を目指しました。そこで新しい都のペルセポリスを建設し、国内を20の州に分けて中央からサトラップを派遣し、道路や港を建設していきました。さらに貨幣を製造して度量衡を統一しました。

ペルシア帝国の領土を中央アジアに広げて、さらに西へ行き、小アジアを超えて黒海に沿って北上し、スキタイ遠征を行いました。遠征は失敗に終わりましたが、ペルシャ帝国の範囲はバルカン半島に及びマケドニアにまで及びました。

一方、活発に商業を展開していたエーゲ海東のミレトスなどはペルシャ帝国の支配から自立しようと動き、前500年に反乱を起こしました。この反乱をアテネが支援したことから、ダレイオスはギリシア遠征を企て、前492年にペルシャ戦争が開始されました。

ダレイオスは大軍を派遣しますが、マラトンの戦いでギリシアの重装歩兵に破れ、失敗に終わりました。

ダレイオス1世はペルセポリスの近くの山服に墓所を造り、その後3代に渡って造営されました。墓の入り口には王自身が壇の上に立ち、右手を挙げ、祈っている姿が描かれています。

ダレイオス1世は、このように自らを地上での代理人として支配していることを宣言しており、ゾロアスター教を信仰していたことが伺えます。

2.王の目 王の耳

イラン高原を中心として、小アジアからインダス川まで支配していたペルシャ帝国は、ダレイオス1世が各州に地方官であるサトラップを派遣し統治させました。

サトラップが離反しないように、それを補佐する軍司令官は王が直接任命しました。サトラップを監視するために、王直属の監督官を派遣しました。

その監督官のことを「王の目」と呼び、その補佐官のことを「王の耳」と呼びました。

中央と地方を結びつけ、行政を迅速に行うために王の道という道路を築き、駅伝制を整備しました。ペルシア帝国は世界帝国の民族を統治したのです。

3.まとめ

どこまでも続く王国を築きたかったんだとシミジミ感じました。巨大帝国をつくるのは並大抵ではありませんが、意志がものすごく強かったんだと思いました。

このままペルシア帝国がペルシア戦争に勝ち続けたら独裁国家になり、民主主義には遠く及ばなかったはずです。勝ったギリシア側は民主主義の基礎を確立していったそうなので良かったです。現在の原点となります。