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イエス・キリスト 本名がホントは違っていた!?その偉大なる生涯を追う!


イエス・キリストキリスト教の元祖であり、イエス・キリストが生まれた年が西暦になっていることは、誰しもご存知かと思います。十字架にかけられ処刑されたことや、イエス・キリストの復活など多々あります。最後の晩餐は色濃く残っています。

しかし、明らかになっていないこともあるそうです。イエス・キリストが本名ではなかったり、誕生日が複数あったりと。そんな不思議なイエス・キリストの生涯を追っていきます。

1.生涯

イエス・キリストは、イスラエルベツレヘムで、母であるマリアから誕生します。父もいたそうですが、身体を交えることなく生まれました。生まれた場所というのが、馬小屋とされています。餌入れの桶にイエス・キリストを寝かせたそうです。

エス名前で、キリストはヘブライ語でメシアという意味だそうです。イエス・キリストは30歳くらいまでイスラエルのナザレで過ごしました。それ以降は、旅に出ます

イエス・キリストは、宣教と福音を目的としていました。神の教えを伝えることです。自分の罪を悔い改めることで天国にいけるとされていました。イエス・キリストは色んな所に行き、教えを広めていきます。

道中、不思議なことにも出会います。例えば、海の上を歩くことが出来たり、病人を一瞬にして治してみせたりとイエス・キリストは、3年をかけて宣教活動をしてきました。主に活動した場所は、イスラエル北部のガリラヤであるとされています。

この頃になると、イエス・キリストも有名になり様々な人達もイエス・キリストに教えを求めるようになりました。このうわさを聞いた法律学者は、あまり良い気分がしませんでした。さらにイエス・キリスト法律学者にさえ、間違っている、と諭したそうです。

これを受けて法律学者達は、イエス・キリストを亡きものにしようと策略します。法律学者とユダヤ人は、当時の総督にイエス・キリストの処刑を訴えました。その結果、十字架による処刑が決定しました。

当時では残虐な刑罰でした。しかし、イエス・キリストは受け入れ、前日には弟子達を招いて食事会を開きました。パンなどをイエス・キリストの体と思って食べなさいと。後の「最後の晩餐」です。こうしてイエス・キリストは十字架にかけられ、亡くなりました。

イエス・キリストが亡くなったのは、ただの死でなく、「いけにえ」として自らの命を捧げたのでした。これによって、全ての人の罪が晴れ、永遠の命を与えてくれたことになるそうです。

2.復活

イエス・キリストは、十字架にかけられて亡くなりました。墓に埋められ、巨大な石でふさがれました。入り口には護衛もいました。

死後3日後、イエス・キリストの弟子であるマリアが墓を見に行きました。すると石が動かされていたのです。墓にはイエス・キリスト死体が無くなっていました。

不思議に思っている弟子のところへ、イエス・キリストが現れました。その後、40日間、イエス・キリストは復活し弟子と共に地上で過ごしたとされています。

復活の40日後、再びイエス・キリストは天に行きました。

3.イエス・キリストの本名

イエス・キリストという名前に馴染んでいますが、別名であったという説もあります。その気になる本名がナザレのイエス。ナザレはイスラエルの地方の名前であり、大工の子とされていました。

エスという名前は当時は多かったそうで、区別するために出身地であるナザレから取って、ナザレのイエスと名付けました。

4.まとめ

イエス・キリストは、興味深いエピソードでしたね。生まれた場所や旅していた場所など知れた気がします。2000年も前のことなので、あやふやな所もあると思いますが、イエス・キリストの生涯が見れてよかったです。

本名もちょっと驚きました。ずっとイエス・キリストが正式な名前と思っていたので。イエスという名前が多数占めていたことも面白かったです。