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アメリゴ・ヴェスプッチ ウソつきが発端!?アメリカ誕生の秘話!


アメリゴ・ヴェスプッチは、歴史の教科書でもちょくちょく見かける人物です。イタリアの探検家であり、アメリカ大陸を発見したことでも知られています。

しかし、ヴェスプッチがウソをついていたという逸話もあり、なかなか不思議な存在です。ただ、自分の名を残したかったという説もあるそうです。

そんな多くの謎に包まれたアメリゴ・ヴェスプッチの歴史を紐解いていきます。

1.生い立ち


アメリゴ・ヴェスプッチは、1454年にイタリアのフィレンツェの公証人の家に生まれました。ヴェスプッチ家はメディチ家とも交流のある名門でした。また、ヴェスプッチ家は蜂(vespa)に由来する家系であることから養蜂業を営んでいたとされています。彼の周辺にも外交官や地理学者になった者もあり、高い人文主義的家庭環境におかれていました。

ヴェスプッチは、叔父のジョルジョ・アントニオ・ヴェスプッチ修道士からラテン語ギリシャ語を習得し、プラトンを始め、古典文学や地理学を学んだとされています。この叔父の厳しい教育なくして、ヴェスプッチはなかったとされています。その成果は、新大陸発見の好奇心と決意の芽生え、貿易航路の開発を担う人物としての道が開かれることになるのです。

1491年、メディチ家代理人ベラルディ家に仕えてスペインのセビーリャに移ると、ベラルディ家がコロンブスの航海に出仕した関係から、コロンブスの2回目の航海に協力し、新航路の開拓に興味を持つようになっていきました。

43歳になり、ようやくスペイン王が派遣した船団で航海に出ることが許されましたが、指揮者としてではなく、天文学・地図製作者として加わったものでした。

その後、数回に渡り大西洋を横断する航海を行い、ヴェスプッチは航海者として知られるようになりました。

2.四度の航海


ヴェスプッチの記録として、「四度の航海」「新世界」が刊行されています。しかし、いずれもヴェスプッチ自身の原本は存在せず、その内容に矛盾もあるため、ヴェスプッチの著書ではないという説が出回っていました。

1回目の航海は、1497年~98年、スペイン王 フェルナントの派遣した船団に天文地理学者として参加しました。カディスを出港し、カナリア諸島から西へと進み、カリブ海と進み、現在のコスタリカに達し、ユカタン半島からメキシコ湾に北上、フロリダ半島を迂回して現在のチェサピーク湾に達しました。その後大陸を離れ、途中、イティ島で現地人と交戦、200人を超える現地人を奴隷として持ち帰りました。

2回目の航海は、1499年~1500年、スペイン王の船団に航海士として同乗しました。カデイスを出発し、ヴェル岬から西へと向かい、ブラジル北部と思われる土地に到達しました。東南東に向かいましたが、潮流に阻まれたので北西に進路を変え、アマゾン河口を監察し、トリニダード島からカリブ海岸を西へと進み、ベネズエラのパリア湾に至りました。この土地が広大であることが分かりました。

3回目の航海は、1501年~1502年、ポルトガル王のマヌエルから招致を受けて同乗しました。リスボンを出港して南下し、アフリカのギニア海岸でインド遠征から帰る途中のカブラルと遭遇しました。そこから西へと進み、難航のすえ、ブラジル東海岸に到着しました。ヴェスプッチは途中から船団指揮権を与えられ、ブラジル海岸線に沿って南南西と進み、アルゼンチン海岸をさらに南下。南緯50℃まで行きましたが、暴風雨に遭い、南下を断念して引き返しました。

4回目の航海は、1503年~1514年、ポルトガルが非公式として派遣した船団に加わります。シエラレオネから南南西に向かいましたが、船団が離散。ヴェスプッチはその中の1隻を率いて単独でブラジルのバイアに到着しました。

ヴェスプッチの航海は、「四度の航海」として刊行されました。1503年に刊行された「新世界」も同じく書簡として発表され、彼の到達した土地は、アジアの一部ではなく、「新大陸」であることを主張しました。

3.ヴェスプッチの真実性

彼の4回の航海が全て真実であるならば、新大陸上陸はコロンブスの1502年より前の1497年に行われたことになります。また、ブラジルへの到達もカブラルの1500年より早い1499年ということになり、新大陸に彼の名が付けられてしかるべきこととなります。

そして、新大陸をアメリカと名付けたのは1507年にドイツの地理学者ヴァルトゼーミュラーで、刊行した世界地図で「アメリカ大陸」と呼んでから一般化しました。

しかし、ヴェスプッチの航海は不思議なことにスペイン、ポルトガルの公式記録には記載されておらず、「四度の航海」と「新世界」も彼自身の自筆本がないことから、疑わしいとされてきました。極端な説では、新大陸に自分の名を付けたいがために航海の内容をでっち上げた、とまでいわれました。

4.歴史的評価

ところが、19世紀中頃になってヴェスプッチの自筆の手紙が発見されました。研究が進み、「四度の航海」それは誰かが書いた偽書であるが、2回、3回の航海は事実であるとする見解が有力となっています。また、新大陸にアメリカと名付けたのは、ヴェスプッチ自身ではなく、地図作製者の意図によるもの、などと明らかになっています。

ヴェスプッチが航海に出たのも、40歳を過ぎており、その情熱は名誉心よりも、好奇心にあったようです。その好奇心から、新しい土地に上陸して、現地人と接することで、彼はこの地を「新世界」と名付けるようになりました。

5.まとめ

ヴェスプッチのアメリカ発見説は、賛否両論ありましたが、時が経つにつれ、徐々に信憑性も上がってきたようです。

自己の利欲ではなく、好奇心のために航海に出て、アメリカ大陸を発見したことは、すごいことですね。偉業を成し遂げたために、それを裏目に思う人も少なからずいたということです。

数々の謎に包まれたヴェスプッチ。しかし、己の好奇心を満たすことなく、当時は危険といわれていた航海に繰り出す姿はカッコ良いですね。

イタリアのフィレンツェ近郊にアメリゴ・ヴェスプッチ空港があるほど、彼の影響力は絶大です。ちなみに、この空港はこぢんまりしているそうです。


参考文献
https://www.y-history.net/appendix/wh0901-031.html
https://www.nikkeyshimbun.jp/2018/180627-51colonia.html?print=print