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ジョージ・ワシントン 初代大統領ながら医者にされたある恐ろしい出来事とは!?


ジョージ・ワシントンアメリカの初代大統領です。当時はイギリスの植民地であったアメリカ大陸で指導的な立場となり、独立戦争にてイギリス軍と戦い、独立を勝ち取りました。

現在の大統領選挙制度にも影響を及ぼしているワシントン。その知られざる素顔に迫ります。

1.生涯

ジョージ・ワシントンヴァージニア州の大農園主でした。始めは、測量技師となって後軍人として七年戦争に貢献します。1758年にヴァージニア代議会議員となります。この時にオハイオ川の開拓を企てますが、イギリスの強圧的諸条例により反英闘争に加わります。

1775年、アメリカ独立戦争が始まると植民地代表は第2回大陸会議を開催します。ワシントンは独立軍総司令官に任命され、指導することになります。

1776年、ジェファソンが起草したアメリカ独立宣言を発表し独立の意義を訴えますが、独立戦争は激しさを増し、1777年のサラトガの戦いで大勝し、逆転します。その後の1781年のヨークタウンの戦いで独立戦争終結し、1783年にイギリスとパリ条約を結びました。独立を果たします

1787年憲法制定会議の議長となり、フェデラリストと反フェデラリストの対立をまとめ上げ、アメリカ合衆国憲法の成立に辿り着きます。憲法に従い、初の大統領選挙を行った結果、1789年にワシントンが初代アメリカ合衆国大統領に選ばれました。

1792年にワシントンは大統領選挙にて再任されますが、1796年に3度目の再任は不適当として自ら辞退します。引退後、アメリ外交政策として孤立主義の源流をつくりました。

しかし、1799年に亡くなりました。翌年にその名をとった新首都ワシントン特別区が誕生したのです。

2.不穏な死因

ワシントンは身長188cmもある大柄な人でした。晩年も馬を走らせるほど元気だったといいます。1799年の冬、ワシントンは突如目覚め、体の不調を訴えました。喉の感染症でした。

声もきつかったため、友人である医者に血を抜いてもらいました。この血を抜きとる治療は、当時は何もしないよりマシだということで行われていました。現在は禁止されています。

しかし、10時間に及んで血を抜かれた結果、ワシントンはあっけなく息を引き取ったのです。元気であったワシントンも短時間のうちに亡くなったのでした。

本人の意思で行ったのだから仕方ないという意見もあります。しかし、抜かれた血の量が尋常ではなかったのです。

ワシントンは10時間の間に、3.75リットルもの血液を抜かれていたのです。ワシントンの体重が90キロだったので、血液の量は7リットルと推定されます。つまりは半分もの血が抜き取られたのです。

体重90キロのワシントンなら3リットルの血液がなくなると失血死します。この医者は悪気があったわけでなく、一向に良くならないのでエスカレートしたようです。最期はピクリともしないで亡くなったそうです。

3.まとめ

大統領でもこんな亡くなり方があるんだと知って驚きました。せっかく植民地から解放したのに亡くなるときが怖かったです。ものすごい量の血を抜かれてワシントンはどんな思いだったのでしょうか。

ワシントンは大統領として独裁をするのではなく、中立した立場から物事に取り組んでいたようです。現在の大統領選挙制度の3選禁止もワシントンが考えたそうです。亡くなり方が不憫でしたが、功績は輝かしいですね。