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ニコラ・テスラ 最期は孤独死!? エジソンからも睨まれた天才の素顔!


ニコラ・テスラ。誰だと思う人が多いでしょう。実は電気の発明者なのです。テスラはエジソンの元で働いていたのです。そして、自身も電気の発明者へとなっていきます。

知名度エジソンの方がありますが、テスラの功績を見るとテスラの方が現在に影響力をもたらしているとも感じます。経歴を見ても面白いです。

どうなんでしょうか。見ていきます。

1.生涯

ニコラ・テスラは、1856年にクロアチア西部で誕生します。5歳の時になんと小型水車を作ってしまいます。幼い頃、雪山に雪を丸めて投げると、斜面を転がり続け大きくなっていくことから、自然エネルギーに注目します。

7つ上の兄が亡くなったのをきっかけに、恐怖症に苛まれます。テスラはこだわりが強く、ホテルでは3で割り切れる番号の部屋にしか泊まらず、服装もシルクのシャツ、手袋と決まっていました。語学も堪能であり、8ヶ国語を話しました。

オーストリアの大学に在学中に、発電機とモーター両方の機能を持つ直流機械装置を目にして、「回転磁界」の原理を思いつきます。このことがきっかけで「交流モーター」を発明します。

交流システムの実用化を進めるために、28歳の時にアメリカに渡り、エジソンの元で働きます。1日に18時間も働いたそうです。ある時、直流発電機の改良をエジソンに提案します。交流電流に改良が成功したら、ボーナスを約束していましたが、本当に成功するとも思わず、テスラが改良に成功してもそっけない態度を示したそうです。

直流電流派のエジソンは、交流電流を危険なものと広めていきました。一方、テスラは、交流電流の安全性を説いていきました。結局、エジソンとは意見が合わずに去っていきます。

独立したテスラは、後にナイアガラの水力発電所で交流電流発電機が採用され、交流電流は世界へと普及しました。現在、私達が使っているのも交流電流の方です。

1889年、WiFiの原型となる、無線でどこでも電化製品を動かせる「ワイヤレスシステム」を開発します。これを普及しようとしますが、マルコーニが無線通信に成功したことと、モルガンからの資金が止まったので、テスラの研究は途絶えてしまいます。

テスラはリモコン、蛍光灯、熱伝導、太陽光発電やレントゲンなど、200以上の発明品を残しました。1915年にノーベル物理学賞の候補になりますが、エジソンもおり受賞はなりませんでした。

生涯独身であり、86歳で亡くなりました。

2.最期

ニコラ・テスラは、身長190cmを超えるほど長身で、女性からモテたそうですが、生涯独身を貫いたそうです。仲間もそれほどつくらずに、晩年は孤独に過ごしました。

他人と関わりませんでしたが、鳩とは過ごしたそうです。こうして過ごすうちに晩年を迎え、滞在していたニューヨークのホテルにて孤独死しました。

ホテルのドアには、起こさないでください、という札がかけてあったそうです。ニコラ・テスラは、借金を抱えていたそうで、返済が滞り、安いホテル暮らしを送っていました。鳩と過ごしたそうで、人を拒否しながらも、鳩には心を許したのでしょうか。

3.まとめ

ニコラ・テスラがこんなに色んなものを発明していたとは驚きました。リモコンもテスラが発明していたとは。現在の身近なものまで開発していたとは、天才です。

エジソンの元で学んでいたことも知りました。エジソンのほうが先輩ですが、物怖じせずにズバリと指摘したのは、見事ですね。エジソンも案外、嫉妬深いのかもしれません。2人の関係も面白いと思いました。ただ、最期が孤独死とは寂しいですよね。