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徽宗 中国史上最悪の君主!その中に隠された秘めた才能とは!?


徽宗。「きそう」と呼びます。まったく知らない人もいるかと思いますが、宋の時代の皇帝であり、国家を揺るがした靖康の変を引き起こした張本人であります。内政に関してもあまりよろしくなく、宋は滅亡への道を辿っていってしまいます。

一体どんな人物なのでしょうか。ちょっと見てみます。

1.生涯

徽宗は、神宋の子で第8代の皇帝です。徽宗の時代には、表面的には繁栄が続いていました。即位当初は、政治に無関心だったわけではなく、改革を志し、民を思いやる面もありました。

しかし、権力の行使は次第に民政から離れて、芸術に対する関心に変わりました。徽宗の関心は庭園に向けられました。庭園は建築を含む総合芸術であり、江南で発達していましたが、華北でもつくられるようになりました。

徽宗は北東部に万歳山という人工庭園を造り、全国から珍木を集めました。そのことが悪名高い花石鋼であり、北方の異民族に狙われている時も、大運河を使って石を運ばせ、国民の重い負担となりました。自らの贅沢のために民衆に重税を課すなど悪政を繰り返しました。

徽宗の無関心による中央政府の動揺や腐敗は地方政府の混乱を招き、農民の反乱が起き、宋は弱体化してしまいます。

1125年、金によって首都が包囲されると、危機を避けて退位しました。しかし、金は翌年に再び攻撃に入りました。1127年に靖康の変によって徽宗は金に捕らえられ、連行されてその地で生涯を閉じました。

2.芸術家としての異名

皇帝としては無能とされましたが、芸術家としては一流でした。若いときから絵画に優れ、芸術家を保護して風流天子と呼ばれていました。徽宗の元で画院に集められた一流の画家達がつくりあげた写実的で装飾の強い画風を院体画といいます。

徽宗の作品も残されており、桃鳩図が有名です。桃の木にとまっている鳩が上手に描かれています。鳩の特徴もよく捉えられており、白い花にも魅了されます。

桃鳩図は日本に展示されています。工筆画で描かれており、細筆で輪郭を繊細にとり、輪郭の中を2本の筆で色彩を入れていきます。

徽宗は、山水画も描いていました。いろんな花や木を全国から集めていたそうです。皇帝専門の画家を採用する時は、画題を決めて絵を描かせ、その出来栄えで決めていたそうです。

3.まとめ

皇帝としては最悪ですね。トップの地位なので、しっかり政策を投げ出さず、前に進めてほしかったです。自分の趣味のために重税を課すなど言語道断です。昔だから通じたのかもしれませんが、現在だと非難されます。恐らくどこの国でも。

内政は、適当な体制だったようですが、芸術に関しては、趣味で終わらせることなく極めたようです。自身のみならず、芸術家を保護していたのは素晴らしい取り組みだと思います。これを内政でやってのけたら、多少は宋の運命も良い方向に流れていったのかもしれないですよね。