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アルフレッド大王 イギリスの基礎を創った元祖!信じられない一面も!


ルフレッド大王。中世ヨーロッパのアングロサクソン国家が対立していた時代に活躍した戦士です。多民族との驚異に立ち向かいながらも勇敢な戦いぶりを見せつけたことはご存知の人も多いはずです。

混乱期のイギリスをまとめ上げたアルフレッド大王の素顔に迫ります。

1.生き様

ルフレッドは849年、エゼルウルフと王妃オズブルクの四男として誕生します。エゼルウルフ王は、七王国時代を終わらせた覇王、エグバートを父に持っていました。エゼルウルフ王は幼いアルフレッドを連れて、二度のローマ訪問を成し遂げました。

ルフレッドには長兄エゼルバルド、次兄エゼルベルド、三兄エゼルレッドの3人の兄がいました。長兄のエゼルバルドが問題でした。父のエゼルウルフを国内に入れないように策略を図ったのです。しかし、貴族たちの抵抗により失敗します。

858年に父エゼルウルフが亡くなると、エゼルバルドとエゼルベルドによる統治が始まります。この2人は短命政権に終わります。866年、三兄のエゼルレッドが統治します。この頃からルフレッドの活躍が始まります

デーン人の侵攻は日に日に増してきました。867年にデーン人の軍が北上するとヨークからノーサンブリア王国へと侵攻します。デーン軍の攻戦によって2人の王が殺害され、ノーサンブリア王国は滅びました。

868年、アルフレッドはマーシア王家の血を引くエアドブルフと結婚します。マーシア王国にデーン人の大軍が南下してきていました。アルフレッドの最初の戦いがこの時でした。

兄エゼルレッドと共に出陣したアルフレッドは、ノッティンガムでデーン人と睨みあいます。両者とも崩せずに和平を結びました。

871年、アッシュダウンの戦いでは激しい戦いとなり、デーン軍が総崩れ。2ヶ月後、マートンの戦いではデーン軍の勝利に終わります。マートンの戦いで負傷したエゼルレッド王が亡くなり、ルフレッドが即位します。

即位してからもデーン軍とは一進一退の攻防を繰り広げていました。878年、エディントンの戦いでは、デーン軍に対して緊密な盾壁を築いて襲いかかり一方的な戦いとなってしまいました。窮したデーン軍は、敗走し降伏したのです。

886年、アルフレッド大王はデーン人が支配していたロンドンを攻略して国境線を確立する条約を結びます。890年以降はデーン人の勢力が衰え、平和が訪れました。

その後、アルフレッド大王の次世代の王により、デーン人の抵抗を排していき統一イングランド王国を確立していきました。

ルフレッド大王は20歳に発病して以来、突発的な激痛に襲われる持病と戦いながら王としての務めを果たします。899年、50歳でこの世を去りました。

2.パン(ケーキ)の逸話


877年、アルフレッド大王はチップナスにてクリスマスを祝っている時、デーン人の一大襲撃を受けます。彼は命からがら逃げ切り、しばらくの間、逃亡生活が続きました。

沼地の間にある家で休憩させてもらいます。この家のおかみさんはアルフレッド大王を室内に招き、代わりに自分が井戸に行く間に、焼いているケーキが焦げないように見ていてほしいと頼みます。

おかみさんが留守中にアルフレッド大王は火の前でデーン人を倒すには、どうしたら良いかと思いにふけり、ケーキのことをすっかり忘れていました。

おかみさんが家に戻ると、想像にふけるアルフレッド大王の前で真っ黒に焦げたケーキが煙を上げていたのです。この時、怒ったおかみさんは一喝し、ホウキでアルフレッド大王を叩いたともいわれています

部下達がアルフレッド大王であると告げると、おかみさんはひざまついて謝ります。アルフレッド大王は自分が悪いからと許し、太っ腹な一面を見せました。

3.まとめ

入り乱れていたイングランドをまとめてきた姿は勇者ですね。当時のアルフレッド大王の領域は小さかったそうですが、その技量と心の広さで戦争を駆使したことは事実です。今では、歴代イングランドの君主の中でも人気を誇り、「The Great」と呼ばれています。

それにしてもケーキの逸話は面白かったですね。敵のことを考える余り、ケーキのことを忘れて焦がしてしまうとは。