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アルフレッド・ノーベル 死の商人!?そのダークな人生の秘話とは!?


アルフレッド・ノーベルノーベル賞が思いつきますよね。そして科学の発明家であり、ダイナマイトも生み出した人物としても知られています。そのせいで死の商人と異名を付けられてしまいます。

そんなアルフレッド・ノーベルは一体どのような人物なのでしょうか。見ていきたいと思います。

1.生涯

1833年アルフレッド・ノーベルは、スウェーデンストックホルムに生まれます。父であるイマニュエル・ノーベルはエンジニアであり、発明家でもありました。母のアンドリエット・ノーベルは裕福な家庭の出身でした。ノーベル家は両親と4人兄弟の6人家族でした。

アルフレッド・ノーベル三番目の子でした。アルフレッド・ノーベルが誕生した時、父のイマニュエルは、ロシアのサンクトペテルブルグで会社を興して機械業で成功を収めていました。イマニュエルは、機雷を使うことで敵軍の侵入を防ぐことができるのを発見したのです。

その頃、アルフレッド・ノーベルサンクトペテルブルグに滞在しており、家庭教師の元で勉学に励んでいました。17歳になった時、スウェーデン語に加え、英語、ドイツ語やフランス語も流暢に使えるまでになっていました。

当時のアルフレッド・ノーベルは、物覚えが早くて堅実だが、孤独を好む少年という風に見られていたそうです。

パリで留学中、イタリア科学者のアスカニオ・ソブレロと出会います。この出会いは、アルフレッド・ノーベルにとっては人生を左右する大きな分岐点でした。ソブレロは1846年に破壊的な爆発力を持つニトログリセリンを発明していました。しかし、実用化が難しいとされていました。

この出会いを契機に、アルフレッド・ノーベルは、ニトログリセリンの実用化に向けて研究を進めていきます。父のイマニュエルとも協力して研究しました。スウェーデンに帰国した後も、ニトログリセリンの実用化を進めていきました。しかし不幸なことに、実験中に失敗し弟のエミルが亡くなります1864年、ついにニトログリセリンの大量生産に成功し、さらに1866年にはダイナマイトの発明に成功します。ノーベルが生涯にわたって獲得した特許は355に及んだとされています。

ダイナマイトは戦争に使われてしまい、発明したアルフレッド・ノーベルは、死の商人とも呼ばれてしまいます。しかし、プラス面もありました。それはトンネルの採掘や橋の建設などで大幅にコストを削減できるようになったことです。特に、建設業でのダイナマイトの需要が高く、約20カ国に工場を建てました。アルフレッド・ノーベルはヨーロッパ中を飛び回っていたので、当時の様子を「ヨーロッパで一番裕福な浮浪者」と呼ばれていました。

アルフレッド・ノーベル一生涯の独身でもありました。アルフレッド・ノーベルは秘書を雇うために新聞社に問い合わせ、オーストリアの女性ベルタ・フォン・ズットナーと出会います。ズットナーがオーストリアに帰国した後も2人は文通を続けました。実は、ズットナーは平和主義者であり、「武器を捨てよ」という本を発行します。彼女との交流が発端となり、ノーベル平和賞創設に繋がったといわれています。

ダイナマイトなどの理系分野のみならず、小説や詩なども堪能したといいます。その嗜好もあってか、亡くなる前にノーベルオリジナルの戯曲、ネメシスを執筆します。悲劇の作品として知られています。今は各国に翻訳されるまでに至りました。

アルフレッド・ノーベルは1896年、イタリアのサンレモで最期を迎えています。彼の残した遺言には「残した莫大な資産を人類の進歩に大きく貢献した人に使ってほしい」とありました。こうした遺言の影響もあり、物理学、化学、生理学・医学、文学、平和に対して功績を残した人に賞が与えられることになったのです。

2.名言

「仕事があれば、そこが我が祖国。仕事はどこにいてもできるのです」
アルフレッド・ノーベルは、どこにでも飛び回っている人でした。場所を変えても仕事が出来れば、幸せであることを私達に感じさせてくれますね。

「1000個のアイデアがあったとしても1個実現したら良い方だ」
アルフレッド・ノーベルもダイナマイトを発明する際に、様々な試行錯誤を重ねてきました。家族の事故死や破産などのアクシデントも多く経験。何が大切なのかを考えさせてくれる言葉です。

「尊敬されるには尊敬に値するだけでは不十分である」
尊敬されたいのなら、自分が人々からあらゆる部分において尊敬されるように変化するのが大切だ、ということです。

「平和を祈る気持ちだけでは平和は保障されない」
平和を考えていく上で非常に重みのある言葉です。

3.ノーベル経済学賞

正式にはアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞といいます。厳密にはノーベル賞ではありません。他の5つの賞は、アルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて1901年から創設されましたが、経済学賞は1969年に創設されたのです。スウェーデン国立銀行が300周年記念の場で、賞の創設を提案したので設立されることになりました。

ノーベル経済学賞は、経済活動を数式で表し、新たな実証方式を切り開いたりした経済学者に与えられる賞です。

4.まとめ

アルフレッド・ノーベルが、かなりの努力家というのが伝わってきました。危険な実験も顧みず、発明に勤しんだことは誰にでも真似できることではありませんよね。ダイナマイトは戦争に使われてしまい、死の商人とまで呼ばれてしまいましたが、アルフレッド・ノーベル自身は、世の中が暮らしやすいように発明してくれたのだろうと思っています。

ノーベル賞創設に遺言が影響していたとは新鮮な思いがしますね。アルフレッド・ノーベルの未来への希望が、現在のノーベル賞に込められていることでしょう。