歴史的に見てもエジプト王朝にはロマンがあり、憧れもあります。ツタンカーメンやピラミッドのミイラなど思い出すと、いくらでも出てきます。
中でも、プトレマイオス朝の最後の女王であるクレオパトラ7世は有名です。女王として最後の最後まで王朝を守り抜き、自殺したことで知られています。また、「世界3大美女」としてその名を轟かしています。
軍人であるカエサルとの恋も非常に強かったといわれています。その素顔に迫っていきます。
1.生涯
17歳の時、王家の慣習で9歳の弟、プトレマイオス13世と結婚しますが、某大臣の策略により、プトレマイオス13世がクレオパトラ7世をアレクサンドリアから追放します。
シリアに亡命したクレオパトラ7世は、ポンペイウスを追って、ローマからエジプトに来たユリウス・カエサルと手を組み、味方につけることに成功しました。
カエサルの援軍により、プトレマイオス13世を退けると、クレオパトラ7世は形式的に、プトレマイオス14世と結婚して共同統治を開始しました。
紀元前47年、カエサルとの間に息子カエサリオンをもうけています。しかし、紀元前44年、カエサルが突然殺害され、彼女は息子を連れてエジプトに帰国します。
クレオパトラ7世はプトレマイオス14世を殺害し、息子をプトレマイオス15世として即位させます。彼女は、東方に勢力を持つアントニウスに接近。意気投合した二人の間に双子が生まれました。この時、アントニウスはクレオパトラ7世にペルガモン図書館の蔵書20万冊を送ったと言われています。
ただ、アントニウスが大柄な振る舞いをしたので、ローマでは非難されオクタウィアヌスを支持する声が高まりました。前31年、両者が激突します。アクティウムの戦いでアントニウスは破れます。クレオパトラ7世が自殺だと誤報を聞き、絶望したアントニウスは自殺。アントニウスの死後、クレオパトラ7世も毒蛇に身を噛ませて自殺しました。
2.カエサルとの関係
クレオパトラ7世は、結婚しながらも、途中で出会ったカエサルとの恋愛が有名です。どのようにして会ったかというと、プトレマイオス13世を倒すため、ローマから駆けつけてくれたことがきっかけです。
クレオパトラ7世は、美女といわれましたが、カエサルは外見で惚れたわけではないようです。それは、クレオパトラ7世の教養の高さと知性に惹き込まれたからでした。
実は、カエサルにも妻がおり、ローマ市民からしたら歓迎ではなかったようです。また、エジプトとローマは仲が悪く、クレオパトラ7世とカエサルの関係は、新たな火花を生みかねない状況でした。まさに危険と隣り合わせの恋愛だったといえます。
3.顔立ち
歴史的にもクレオパトラ7世は鼻が高く、背がすらっとしている美人であったといわれています。一方で、そうではない説も飛び交っています。
現代の科学で彫刻などから特徴を出し、容姿を再現する技術が発達しました。再現されたクレオパトラ7世は、顔立ちがエジプト系ではなく、ギリシア系だということです。
古代ギリシア人は、黒髪で黒い目で褐色の肌を持ちます。目力もあり通った鼻筋です。しかし、実際のクレオパトラ7世は、鼻が低く、肌も白かったとされています。当時の人から見ても、顔はさほど美人ではなかったといわれています。
4.まとめ
何より驚くのが、トップに立とうとして息子まで殺してしまうということです。よくそんなことが出来るなと思います。王朝を守るためとはいえ、残酷でしょうに。
死ぬ時も、毒蛇にいきなり噛ませるのではなく、事前に自ら毒薬を飲んで、その後に蛇に噛ませたともいわれています。
また、クレオパトラ7世は「世界3大美人」といわれていますが、そうではない説も知れて面白かったです。